22年間

ひとりごと…みたいなわたくしごと

22年勤めた職場を退職しました

 

いつかは来る事…と覚悟はしてましたが、

いざ来てみると、

何だか実感がわかないと言うか

これまでも春休み、夏休みと

大学がお休みの時は

1、2週間お休み…なんて普通にあったので

まだそんな気分でした。

それが、先日、

送別会と退職のお餞別へのお返しを

持って職場を尋ねた時、

数日前まで通っていた道が景色が

まるで違うように感じて

急に寂しさが込み上げてきました。

 

気がつけばNo.2

最後の日は

1番早く来て

入荷の荷物を開け、品出ししました。

担当だったのは

最初はコミックでした。

コミックを通じてたくさんの学生さんと

仲良くなり、コミック好きの学生さんを繋げる

「○だゼミ」なる会を作り

みんなでご飯食べに行ったり

アニソンしばりのカラオケ行ったり

スポッチャもいったなぁー😅

40代の私はまだ若かった!

学生たちについていけてた!

そのうちにみんなだんだんと卒業していき、

大人になり、結婚式の二次会によばれたり、

パパやママになって、子供を連れて来店してくれたり

私の宝物のような思い出です。

楽しかったなー。

それからだんだんと仕事が増えて、

文庫も単行本も、

ついには専門書も担当するようになり

その頃には気がつけば

No.2になってました。

といっても2番目に長くいるだけの

ナンバー2でした😅

季節のディスプレイ

本の手配だけでなく、より売れるために、

また学生さんに楽しんでもらえるように、

お店のディスプレイも引き受け

色んなディスプレイを楽しみました。

赤と緑の三角をツリーのように並べた

クリスマスのディスプレイ

お正月は鳥居を…お賽銭箱のふたは

伏見稲荷のキツネ饅頭の箱(笑)

梅雨どきはポップに、紫陽花はみんなに

折り紙折ってもらいました。

夏は

夏祭り!

いらなくなったすだれや線香を持ってきてくれた

とこからアイデアがわき、

このディスプレイがカドフェスとあいまって、

1番リキ入って楽しかったなー

笹の葉買ってもらえなくても、作ればいい。

最初は、カドフェスの販促でもらった

緑のテープを笹の葉のように貼りました。

こちらはナツイチ(集英社)のコーナー

海をイメージしたディスプレイ

あるものを一工夫するのが楽しかった…

 

もっともっと載せきれないほどあります。

楽しかったなあー。

天職かなと思ったほど。てへ。

ディスプレイのための予算は貰えないので

あるもので工夫したり、みんなで持ち寄ったりして作り、それがまた余計楽しかった。

お金かけなくても捨てるようなもので

色々できるのですよねー。

基本全部廃材、全部切り貼り。

これも!アナログ人間がなんで…😅💦

春はさくらをみんなで切り貼り付け、

秋は紅葉を切り切り…

すべて

私の作品たち、と言っていいかも。

でも、この夏経費削減で

このメインディスプレイコーナーが

撤去されたので、それも

これが潮時ね、と感じたひとつです。

永遠ってないのね。

 

○だゼミ

コミック担当を始めてまもなく

コミックを通じてたくさんの学生さんと

仲良くなり、来店しては好きなコミックの事を

熱く語る学生たち…

それぞれの話をきいてるうちに、

この子達をあわせてあげたら話がもりあがるのでは?

と思い、コミック好きの学生さんを繋げる

「○だゼミ」なる会を作り定期的にその集まりを

するようになりました。

企画は専らわたくし。

こうゆうの企画するの好きなんですね、昔から。

今は鳥好きさんたちと、、ですが。

その時もみんなでご飯食べに行ったり

アニソンしばりのカラオケ行ったり

思ったとおり盛り上がって、どんどん増えていきました。

スカウトするのもわたくし。

人選はします。(笑)

そして、40代の私はまだ若かった!

学生たちについていけてた!

そのうちにみんなだんだんと卒業していき、

大人になり、結婚式の二次会によばれたり、

パパやママになって、子供を連れて来店してくれたり

つい、先日も引越しする前にと

妻子を連れて逢いに来てくれました。

そんな日々は、

私の宝物のような思い出です。

楽しかったなぁー。

親友との出会い

ブリーダーの仕事が増えてくると

本をなかなか読めなくなってしまったけど

本に囲まれる職場は

生き物と暮らす、特にヒナを育てる緊張感から

ちょっとだけ開放される空間でもありました。

思い起こしても、辛かったとかやめたいとか

思った事が一度もない。

それは本が好き、よりも

とにかく同僚がすばらしかった。

仕事が続くかどうかは、「人」との関係も

大きな要因だと思います。

どんなにその仕事が好きでも、そこにいる人が

イマイチだと辛いですよね。

私の場合はそれがすばらしかった。

22年過ごした同僚はあと1人になったけど、

そのひとりが、家族ぐるみで仲良くして

子どもたちの成長を見守ってくれて

多分、人生で、誰よりも、家族よりも長い時間を過ごした人だと思う。

同僚を超えて、親友と言える人。

彼女がいたから

いつも支えあったから

22年続いたんだろうなと。

喜びも、悲しみも、怒りも全て共有した友

彼女に会うために私はここに来たんだなとすら

思います。

だからもう毎日会えない事がつら過ぎるのですが、

コロナすんだら

毎年一緒に韓国行こう!とか、

また違う付き合い方でこの関係を

続けていけたらいいなと思ってます。

22年間の想いと感謝

私の名古屋の日々は

この仕事なくして語れません。

好きな本に囲まれて、

長い休みもあるので、

心置きなく帰省もでき、

お母さんたちの集まりなので

なによりも子供の事を優先して、、という

お互い様の理解ある職場。

そこで伸び伸びと、好きなように

本をチョイスし、注文し、並べ

売れたら喜び、昨今の本離れを憂い

時代のうつろいを嘆き、

そして自分の限界も感じてきた…

ここが、潮時なのかもしれません。

22年の想い出と、離れ難い思いと

感謝を込めて

制服を脱ぎました。

万感胸に迫るものがありますが、

さようなら。

ありがとう。

 

そして、

 

お疲れ様、わたし。

 

 

 

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